『 寺山修司と生きて』田中未知
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「マッチ擦るつかのま海に霧深し身捨つるほどの祖国はありや」寺山修司の文学・演劇・映画を全力で支えた田中未知が24年の沈黙を破って語りはじめる寺山修司の核心。1960年代の大ヒット曲〈時には母のない子のように〉の作曲家・田中未知は、鬼才・寺山修司のパートナーとしてその死までの16年余をともに生きた。天井桟敷の驚くべき照明家、読者にじかに問いかける本『質問』の著者、不思議な楽器のコンサートを開く実験音楽家、けれどもっとも重要な田中未知の職業は「寺山修司」だった。 田中未知はこう言い換えている。「寺山修司は特定の思想を中心につくられた人間ではなかった。彼は自己の存在を世界の存在と合致させようと努めたのだが、自己も世界も逆説に満ちていたのである。逆説の中心には言語があった。だから(中略)、寺山は言語の完成という不可能性への途上にある言葉の集合体のなかにあるだけなのだ」。第1章 他者を映し出す鏡〈鏡の魔力〉をもつ男/寺山の伝記作者たち/俳句の世界/文学はコラージュであり、モンタージュである/なぜ短歌は虚構の物語にならなければならなかったか/すぐれた文学は本質的には匿名的なものだ/みずからを不具にする集大成/寺山修司 中心への旅/中心ばかりがあらゆるところに遍在している/〈私さがし〉のこだわり/鏡に吸い込まれるという誘惑/自分自身の父親である私自身を複製化すること/寺山修司は「王様」だった/寺山に代わって「ノー」と言いつづける/私の職業もまた寺山修司だった/オランダに渡り、ヨーロッパの山々を歩く/オランダの自然に取り囲まれて/「時間の原子」を感じた瞬間/ジャン=ジャック・ルソーの愛した自然ということ/「時間って縦軸ではなくて横軸なんだよね」/ボルヘスのフネスが意味すること/「からだはからだ」/アントナン・アルトーと寺山修司/《部分演劇》から《全体演劇》へ 第2章 天井桟敷の現場から一九六〇年代、七〇年代の演劇の現場/「すべては寺山修司のため」だった/『青森県のせむし男』と下馬町二五七番地/『書を捨てよ町へ出よう』と十代の詩人たち/「時には母のない子のように」とカルメン・マキ/『邪宗門』と市街劇『人力飛行機ソロモン』/『邪宗門』凱旋公演の緊張/オリンピック芸術祭参加のために田中角栄に手紙を書く/反体制であるとはどういうことか?/~ 3、4、5章 382頁 新書館
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エンタメ/ホビー › 本 › 人文/社会 |
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