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『 消えた劇場 アートシアター新宿文化 』葛井欣士郎
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1962年4月に誕生したATG(日本アートシアターギルド)の映画館「アートシアター新宿文化」。5年後の1967年、映画・演劇の実験劇場として、新宿文化の地下にあらたに誕生した小劇場「アンダーグラウンド蝎座」。三島由紀夫が名付け親であるこの劇場では、新宿文化に比べ、よりアングラな作品の興行が行われました。映画は、足立正生監督の『銀河系』で幕を開け、若松孝二監督の全作品上映が全日大入り満員を記録するなど、国内外問わず既成概念にとらわれないアヴァンギャルドな作品たちが人々を魅了し続けました。闘争と騒乱、デモと流血に明け暮れた六〇年代、新宿に若者たちのメッカといわれた劇場があった。ベルイマン、ブニュエル、ゴダール、トリュフォー、アラン・レネの、大島渚、篠田正浩、寺山修司の映画の上映、映画終了後の夜半からは内外の一幕もの前衛劇を上演するという当時としては全く新しい試みの数々が話題を呼び、日毎、夜毎、長蛇の列が劇場をとりまき、熱気と昂奮の中で、数々の名画、名舞台が熱い拍手を浴び、いまときめきの演出家、監督、作家、スターかそこから輩出した。寺山修司が「毛皮のマリー」「星の王子様」を上演し、蜷川幸雄が演出家デビューをはたしたのもこの劇場でした。新宿三光町、今様の住居標示でいえば新宿三丁目、伊勢丹横に、その劇場、アートシアター新宿文化、その地下にはアングラの流行語を生んだ小劇場蠍座があったのである。激動の時代、フランスに始まった映画、演劇のヌーベル・ヴァーグ同様、新しい時代の旗手を育てる場となり、七〇年安保の激烈な闘いに向かってたち上ろうとする戦士たちの牙城ともなったのである。80年代を待たずに幕を閉じたこのふたつの劇場は、まさにカウンターカルチャーが世を席巻した60〜70年代という時代の象徴でした。 309頁 創隆社 #ヌーヴェル・ヴァーグ #真情あふるる軽薄さ #エロス+虐殺 #尼僧ヨアンナ #近代能楽集 #ジャンヌ・ダルク裁判
5年以上前
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1962年4月に誕生したATG(日本アートシアターギルド)の映画館「アートシアター新宿文化」。5年後の1967年、映画・演劇の実験劇場として、新宿文化の地下にあらたに誕生した小劇場「アンダーグラウンド蝎座」。三島由紀夫が名付け親であるこの劇場では、新宿文化に比べ、よりアングラな作品の興行が行われました。映画は、足立正生監督の『銀河系』で幕を開け、若松孝二監督の全作品上映が全日大入り満員を記録するなど、国内外問わず既成概念にとらわれないアヴァンギャルドな作品たちが人々を魅了し続けました。闘争と騒乱、デモと流血に明け暮れた六〇年代、新宿に若者たちのメッカといわれた劇場があった。ベルイマン、ブニュエル、ゴダール、トリュフォー、アラン・レネの、大島渚、篠田正浩、寺山修司の映画の上映、映画終了後の夜半からは内外の一幕もの前衛劇を上演するという当時としては全く新しい試みの数々が話題を呼び、日毎、夜毎、長蛇の列が劇場をとりまき、熱気と昂奮の中で、数々の名画、名舞台が熱い拍手を浴び、いまときめきの演出家、監督、作家、スターかそこから輩出した。寺山修司が「毛皮のマリー」「星の王子様」を上演し、蜷川幸雄が演出家デビューをはたしたのもこの劇場でした。新宿三光町、今様の住居標示でいえば新宿三丁目、伊勢丹横に、その劇場、アートシアター新宿文化、その地下にはアングラの流行語を生んだ小劇場蠍座があったのである。激動の時代、フランスに始まった映画、演劇のヌーベル・ヴァーグ同様、新しい時代の旗手を育てる場となり、七〇年安保の激烈な闘いに向かってたち上ろうとする戦士たちの牙城ともなったのである。80年代を待たずに幕を閉じたこのふたつの劇場は、まさにカウンターカルチャーが世を席巻した60〜70年代という時代の象徴でした。 309頁 創隆社 #ヌーヴェル・ヴァーグ #真情あふるる軽薄さ #エロス+虐殺 #尼僧ヨアンナ #近代能楽集 #ジャンヌ・ダルク裁判
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